大正11年4月、同人詩誌『赤い花』の井口蕉花と春山行夫、同じく名古屋の同人詩誌『角笛』の高木斐瑳雄と稲川勝二郎が合流し、佐藤一英と三浦富治を加えて名古屋詩話会を結成。更に斎藤光次郎と岡山草三(東)が加盟し、同年9月に詩話会監修により同人詩誌『靑騎士』が創刊される。編集兼発行は創刊号のみ三浦、第2号以降を井口三郎(蕉花)が務める。創刊号の幕を切る巻頭詩は蕉花の「指に泣く王人」、表紙を飾るオーブリー・ビアズリー風の三色刷りされた耽美的な人魚画は間司英三郎によるもので、同人らの高踏派な抒情詩と共鳴し合っており、特に蕉花の詩との響きが快い。その人魚が佇む深海の右下隅に英三郎はビアズリーが戯曲サロメの挿画でも用いた署名(モノグラム)を模倣し、好事家への暗号のごとく配す。文藝誌『文章倶樂部』等に挿画投稿していた無名の英三郎に装画を依頼したのは蕉花である。
 

同人誌『純情』第2年2月号
 
 

 間司英三郎は大阪在住の画家で耳を患っていた。彼の画風は粗削りだが独学ならではの大胆な着想や構図、にも拘らず繊細で神経症的な線描が妖美さを醸す。同時期に活動していた装幀画家の水島爾保布や名越國三郎、山六郎らとも違う。蕉花が惚れ込むのもうなずける。大正12年4月発行の『文章倶樂部』第8年第4号「物語の人物(懸賞當選)」で英三郎による谷崎潤一郎著「異端者の悲み」と「お銀の方-恐怖時代」の挿画が選考されており、いずれも良い。彼は同人誌『純情』の装画でも人魚を描き、うずくまって眠る人魚の尾鰭に長い髪が絡む環状図、その円運動(死と再生、破壊と創造)はウロボロスの蛇のごとし。又、大正11年創刊の西野潤編集による同人詩誌『衝動』の装画も手掛ける。この詩誌は『靑騎士』の衛星誌で蕉花や春山も寄草している。大正14年6月、間司英三郎は22歳の若さで病歿す。英三郎による唯一の単著装幀に兄の間司つねみ(恒美)第一詩集『夜の薔薇』があり、表紙の意匠はハインリッヒ・フォーゲラーのごとき繊麗な薔薇文様で、扉絵の薔薇がオディロン・ルドンのごとき愛嬌を添える。この詩集に序を寄せるのは又もや西條八十である。弟の死から3ヶ月後につねみの第2詩集『海のほとり』刊行、兄は自序で《若くして逝いた愛弟英三郞が薄倖な靈魂へ》と弔う。
 孤高の装幀画家であり、詩人でもあった間司英三郎の夭折は我が国の象徴主義絵画史における重要な一翼の喪失と言えよう。
 

以上、『井口蕉花全集』の「編者解題」より抜粋
 
 

2021.11.18 Ryo Iketani






 

カテゴリー: 井口蕉花詩論