山田一彦が我が国のシュルレアリスム黎明期における詩人の一人であることに間違いはない。冨士原清一ほど重要な詩人ではないが、山田と冨士原は小説「蝕まれても實るべし」の木村森平と魚地剛太郎のごとき仲である。日中戦争における戦線での山田の死から1か月後の昭和19年9月18日、冨士原は神戸港から朝鮮へと航行中に魚雷による沈没で朝鮮木浦沖海上にて戦死。翌年、8年も続いた日中戦争は終戦を迎えるが、森平も剛太郎も失った。冨士原が生前刊行した翻訳書にフランスの作曲家ヴァンサン・ダンディ著『ベートーヴェン』があり、彼の音楽への尽きぬ執心がうかがえる。当時ベートーヴェン伝としては大正15年刊行の高田博厚(彫刻家)訳のロマン・ロラン著『べートオヹン』が、音楽史的には昭和6年刊行の大田黒元雄訳のパウル・ベッカア著『ベエトオヴェン』が優れている。山田の詩にも音楽をモチーフにしたものが多く、時に戯曲的で舞台仕掛けのようなテンポ良い軽快さを具えたダダ的なその詩風はバレエ・リュスによるジャン・コクトー脚本の前衛的バレエ『パラード』のごとき世界観とでも形容できようか。聖書や神話を現代風に扱う軽妙さもコクトーを思わせる。
 とは言え、当時の詩誌『薔薇魔術學説』や『衣裳の太陽』周辺で特に優れているというわけでもなく、昭和36年7月発行の詩誌『想像』第15集掲載の鶴岡義久氏による「日本超現実主義詩派批判・試論Ⅲ-その可能性について」で山田の詩「PHONO DE CIRQUE」を《単なる言語遊戯にすぎない中味のないうつろな当時のシユルレアリスム》と一蹴しているのもあながち言い過ぎではなかろう。ただし、鶴岡氏は昭和62年9月刊行の復刻版『衣裳の太陽』別冊の解説「シュルレアリスム詩誌の誕生」にてこうも評する《山田一彦の詩に登場する「軍人」が当時とくに重々しかったすべての権威を剥ぎとられてカリカチュアライズされていることである。こうしたカリカチュアの手法に権力への批判を潜在させる詩の書き方はどの詩人も行っていなかったのである。そういう意味ではフランスにおけるアラゴンらのシュルレアリストがコミニズムに傾斜していった過程と、山田一彦の詩観がどこかで連結しているような気がする》と。むべなるかな、至言であろう。そこに瀧口修造のいう山田の《異質のバイオレンス》が雪に埋もれた深紅の椿のごとく燃えたぎるのである。
 

詩誌『衣裳の太陽』第5号
  

 詩誌『薔薇魔術學説』創刊当時で山田一彦は19歳、『衣裳の太陽』の頃でようやく20歳。若き詩人としての彼からは軍国主義を嘲笑う軽妙さや前衛芸術への敏感さ、その凛とした鋭利な感受性の蕾が判るだけで良い。そもそも我が国における昭和初期のシュルレアリスム詩はいずれもフランス直輸入の近代主義としての様式美、詩法の形式主義的傾向が著しい。
 

以上、『山田一彦』の「編者解題」より抜粋
 
 

2021.8.13 Ryo Iketani






カテゴリー: 山田一彦詩論