音楽小論 『 雄鶏とアルルカン 』本編より抜粋
 
著: ジャン・コクトー
訳: 池谷竜

 
 

鳥籠から解放せよ、音楽家は数字を。画家は幾何学を -p17-

若者は手堅い証券など買うべきではない -p17-

直観を鍛える手段はあるが、その手段を導き出すのは己の直観だけである -p18-

ある作品が時代に先行するように見えたとしても、その時代が遅れているに過ぎない -p20-

後退りする芸術家は誰かを見捨てるのではなく、己を見捨てるのである -p20-

拍手喝采を欲する者は愚かであり、野次を待つ者もまた愚かである -p21-

生前は人間として、そして死後に芸術家となればよい -p21-

崇高な作品を否定するのは特に難しいが、強い肯定には必ず強い否定が含まれる -p22-

作品の制作過程においてデッサンが魅力を放つ瞬間がある。「もう手を加えるな」と素人はそこで叫ぶのだが、真の芸術家が運を試すのはそこからである -p23-

ペンキにご注意、という貼紙がある。そこにこう書き加える、音楽にもご注意と -p23-

詩人はその語彙(ごい)のなかに言葉を、画家はそのパレットの上に絵具を、音楽家はその鍵盤の上に音符を、彼らは余りにも多く持ち過ぎている -p24-

音楽では無闇にペダルを乱用しない。あらゆる原語にペダルが付いているが、フランス語はペダルのないピアノである -p24-

創作家の内面には必然的に男性性と女性性とが共存するが、その女性性が扱いにくい -p25-

世論には演説ではなく作品で訴えるべきである -p25-

批判するなら一流だけを相手にしたまえ -p25-

重要なことは軽く浮かぶのではなく、軽く波紋を描きつつ重々しく沈むことである -p26-

死者の眼をそっと閉じるように、生きている者の眼をそっと開いてやらねばならない -p26-

ソクラテスは尋ねた「ご馳走のようにパンを食べ、パンのようにご馳走を食べるのは誰なのか」と。答えはドイツの音楽愛好家 -p29-

印象主義の音楽家らは梨を12個に切ってそれぞれに詩的な題名を付ける。かたやサティは12個の詩を構成し、その全体に『梨の形をした曲』という題名を付ける -p32-
 

 
 

後篇に続く
 
 

2019.10.18 Ryo Iketani

  
 
 
 
 
 

 

カテゴリー: コクトー音楽論

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