庭は空間的であると同時に時間的でもあり、その点において音楽と似ているといえよう。雨や風、光や影、水といった表情豊かな自然の懐に抱かれて、四季折々の顔を円環的な時の流れのうちに変貌をし続けるのが庭であり、そこに虫の声や鳥のさえずり等の動物的音響効果が加わり、創造者の意図を超えたところにある自然の、生命の現象まで取り込まんとするしたたかな造形のごとくが庭である。

 庭における効果音のひとつとして水の音があげられる。石をくりぬいた手水鉢へ竹の樋を伝わり流れる水の音や、仕掛けられたシシオドシの不連続かつ変則的に拍を打つ竹筒の岩にぶつかる衝撃音。そのあとの残響音に、余韻のしじま。または滝を模して岩をたたみ立てた岩組による滝水の音響等、あくまで人為による戯画的自然のハーモニーが超自然の存在として、空間には余白を、時間には余韻を、程よく残しつつ緊張感のある調べを奏でている。

 対比として西洋の庭園における水の音といえば、噴水によるものであろう。しかし、その音はノズルから定期的に発射し続ける同一量の水が大理石や水面を叩く連続音であり、噴射装置の機械的な響きであるといえよう。造形的にも装飾過多気味で、余韻や余白に浸るような、心地よい間を楽しむ程のものではなかろう。
 

interlude No.4
 

 自然そのものを素材として、あくまで人為的に虚構された超自然としての東洋の庭は、創作者の意図を超えたところで自然とのコラボレーションを果たし、その幾重にも織り込まれた唐草模様の隙間から聴こえてくる音響が、日常に疲弊した心を清めてくれる。
 

2019.9.28 Ryo Iketani

 
 

ー 古池や蛙飛び込む水の音 ー 松尾芭蕉

 
 
 
 
 
 

 

カテゴリー: 音楽論