棚夏針手の詩を大別すると象徴派の詩だが、同時にシュルレアリスム詩であることにも異論あるまい。ただし、彼の主な詩作時期は大正11年から15年までなので西欧からシュルレアリスムがもたらされる頃にはその活動を終えている。棚夏の詩友である近藤東は昭和24年5月発行の詩誌『詩學』第4巻第4号掲載のエッセイ「處女詩集の頃」の冒頭にて《大正十年の頃、つまり中學時代、私の家の近所の質屋さんに竹内隆二氏が居り、そのグループを知つた。いずれも優秀なマラルメアンであつたが、とりわけ棚夏針平氏は、センジュアルな素材と豐富なボカブラリイを使用し、ある意味では日本のシュルリアリストの最初の人ともいえる》と述懐しており、棚夏をシュルレアリストと断ずる初のテクストである。翌年、棚夏は近藤へ「青あらしのなかから」の原稿を送っており、その詩はシュルレアリスムからコミュニズム化していったフランスの抵抗詩人ルイ・アラゴンやポール・エリュアールの詩と通ずるものがある。

 我が国における最初のシュルレアリスム詩誌は昭和2年11月創刊の『薔薇魔術學説』である。発行が冨士原清一、同人は上田敏雄と上田保、北園克衛と山田一彦、第四号にて詩誌は廃刊。昭和3年11月に『薔薇魔術學説』の面子と、西脇順三郎率いる詩誌『馥郁タル火夫ヨ』の瀧口修造や三浦幸之助らとの合流により超現實主義機關雜誌『衣裳の太陽』が創刊される。その辺りは小生の編書『山田一彦全集』編者解題で触れているのでそちらを参照されたし。
 日本のシュルレアリスム詩にはフランスから直輸入された詩法が、その形式論ばかりが蔓延り過ぎたのやも知れぬ。西欧が歩んだダダによる破壊からシュルレアリスムによる創造へと至る以前の、母胎であり骨子であり、かつ抗うべき対象となる浪漫主義や象徴主義、それらの不作不熟が、さも衣裳のごとき形式主義へと零落させたのであろう。既に割られたガラスを輸入して、それを更に踏みつけて粉砕する道化詩人とまでは言い過ぎか。

 いずれにせよ、棚夏針手はシュルレアリスムを知らずして独自にシュルレアリスムへと到達している。詩誌『君と僕』第4号掲載の棚夏による散文『知れざる神の所有者と其の周圍』にある《詩祖の認識はその非意識的の持続さるゝ僅かな「夢」に偉大なる會話をとげ》という記述からもシュルレアリスムの萌芽を見て取れよう。同散文内で彼は《凡な通俗よ、それ等知られざる神の所有者よ、吾人は開かれざる花、唄はざる詩人である》と吐露し、更に《低級なるセンチメンタリズムは痩せたる女王となり、高踏の神々のみ、尖端空に向く城中に王者たらん。現在の誤り多き詩壇の一角に立ちて、自分は咆吼する犬に似て「異端」である如く一蔑されて居る》と嘆ずるも又徒らなり。
 棚夏の優生学たる長篇詩「拔錨の汜濫」はまさに異端であり、日本詩壇の片隅に突如咲いた驚異の花である。それから7年を経た昭和5年3月発行の詩誌『詩と詩論』第Ⅶ冊掲載の冨士原清一による長篇詩「魔法書或は祖先の宇宙學」の出現も驚きだが、棚夏ほどの画期的な先鋭さはない。では呪詛のごとく詞が数珠繋ぎに延々と連なる「拔錨の汜濫」の読後感とは、2014年オートクチュール春夏コレクションでのリック・オウエンス『VICIOUS – WOMENS』におけるプリミティブなダンスパフォーマンス、最後にダンサーらが連なって大蛇さながらにランウェイを退場してゆく大団円、その革新的な鬼気迫る衝撃とでも譬えておこう。
 

Rick Owens 2014 『VICIOUS – WOMENS』
 
 
 

後篇に続く
 
 

2021.8.30 Ryo Iketani






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