生きていると日々悲しみがつきまとう。しかし悲しみを共に感じる人がいればそこには温もりが生じる。悲しむことが同時に温めることとなり、悲しみを慰めるものもまた悲しみのなせる情ではないだろうか。

 悲しみは慈しみであり、また愛しみである。悲しみを持たぬ慈愛はなく、ゆえに慈悲といい、高じれば大悲という。東洋では慈しみ溢れる観音菩薩を《悲母観音》と呼び、西洋でも信仰深かった中世では聖母マリアを《Lady of Sorrows(悲哀の女)》と呼んでおり、祈祷曲「Ave Maria(アヴェ・マリア)」はそんな悲しき彼女を讃える叫びではなかったであろうか。

 洋の東西を問わず今も昔も慈悲を請う。わが国では古く和歌などで《愛し》を《かなし》と詠み、さらに《美し》もまた《かなし》と詠み謡われていた。

 

interlude No.3
 
 

 私の音楽がそんな慈悲の旋律を奏で、温情の高らかな叫びとなり、悲しみを共に感じる友であらんことを願う。
 

2019.9.16  Ryo Iketani

 
 

追記: ちょうど1年前に安室奈美恵氏は引退した。沖縄県宜野湾市観光振興協会は9月16日を「安室奈美恵の日」に制定すべく日本記念日協会に申請したものの認定には至らなかった。とはいえ、今日がファンにとって特別な日であることに違いない。