大和の秋深まる10月吉日、宝山寺を参拝したのち、多賀新氏(銅版・鉛筆画)と建石修志氏(鉛筆・油彩画)、拙訳『雄鶏とアルルカン』の表紙画を描いた日乃ケンジュ氏、私の4人は信貴山の山腹にある朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)を訪れた。

 到着して駐車場から朝護孫子寺へと歩いて向かう途中に開運橋という《上路カンチレバー形式》造りでは現存する日本最古の橋があり、趣ある景観には不釣り合いなバンジージャンプが橋の中央に設置されているのには仰天である。七福神のなかでも福随一といわれる毘沙門天王が祀られている寺を背に、何故に一回九千円も支払って身投げする必要があろうか。

 前日に建石氏による『不思議の国のアリス・鏡の国のアリス』の新作展を観覧した影響なのか、寺院でこれから異世界に祈祷する前段階に落下するアトラクションとは、白ウサギの紳士を追いかけてウサギの穴(不思議の国への入口)に落下するアリスの象徴的なシーンを思わせる。
 

大阪梅田にあるワイアートギャラリーで建石修志氏の卓抜な新作展が2019.10.26まで開催されていた
 
 

 因みに参拝当日の建石氏はボーダーのタートルネックに背地がペイズリー柄のスーツベストを重ね、ベレー帽の裏地もまたペイズリー柄という、まさに氏の描く不思議の国から白ウサギが飛び出してきたような洒落た装いであった。
 

 朝護孫子寺は用明天皇2年(587年)に聖徳太子により創建された信貴山真言宗総本山の寺院であり、本堂内陣正面に祀られている本尊の毘沙門天王像、その左に善膩師童子像、右には吉祥天像がある。その奥には毘沙門天王の眷属である二十八使者像が安置されており、外陣からは拝尊できない。多賀氏は本堂の扁額を眺め、その装飾がムカデであるのを興味深く観察しておられた。境内では張り子の寅(トラ)が目立つが、目を凝らしてみると至る所にムカデのレリーフも用いられている。武神である毘沙門天王の神使は寅とされているが本来はムカデのようである。

 本堂からは大和の原風景ともいえる斑鳩の古都が一望でき、その本堂真下には《戒壇巡り》を行う暗闇の回廊がある。また本堂のほかには千手院護摩堂や玉蔵院にある三重塔など数十棟の堂宇が立ち並ぶ。

 我々が参拝した日は偶然にも年一度の法要『二十八使者守護善神練り行列』の行事日で毘沙門天王の二十八人の使者、守護善神に扮する信徒と僧侶が赤門前から歩み始める、まさにその時刻であった。そのあと本坊を経て本堂へと練り歩いてゆく仮装した仮面行列のご一行は、前衛的なパリ・コレクションでも観ているかのごとき色彩と装飾性と非現実感であった。
赤門を抜けると彫刻家の北村西望氏による《聖徳太子像》があり、武装姿で横笛を吹く太子の騎馬像を見上げて魅入る建石氏、その後ろ姿と馬に跨る笛吹き童子像とがまさに氏の世界観をそのまま黙示しているといえよう。
 
 

 また信貴山といえば四大絵巻物の一つ、平安後期十二世紀頃に成立した『信貴山縁起絵巻』で知られていよう。この国宝は毎年10月末から2週間のみ朝護孫子寺の霊宝館で公開されるものの、我々はタイミングが合わず1週間早かったようで建石氏も多賀氏もこれには残念そうであった。

 寺をあとにして例の開運橋までゆくと建石氏は立ち止まって橋の欄干から下を覗き込み、崖の傾斜に横たわる流木に群生するキノコを眺めておられた。さしずめ、キノコの上に座ったイモムシが水パイプでも吸っていたのであろう。
 

建石修志氏挿画による『不思議の国のアリス 鏡の国のアリス』が日本のアリス研究の第一人者であられる高山宏氏の新訳により今年2019年4月に青土社より刊行
 


 

2019.10.28 Ryo Iketani

 
 

追記: 登山愛好家の建石氏は最近ピッケルを購入したとのこと。また参拝前日にお酒を呑みながら、氏が挿画を手掛けたルネ・ドーマルの登山冒険小説『類推の山(巖谷國士氏の名訳)』の話中話である『空虚人と苦薔薇の物語(2014年11月に風濤社刊)』での創作談を語ってくれたのが印象に残る。
 

 
 
 
 
 
 

カテゴリー: 絵画論随筆