病情より

随筆:井口 蕉花
 

 空に饗宴を開いてゐた空の花(桃櫻木蘭花檎など)が消え去つてしまひ、その情趣と鏽る光りを風が仄めかし地上の影を追ひつくした。そして春が過去の夢をのこして逝つたが、いつかまた爛明な花(桐水晶花藤など)が空に彩現した。白蘭の日、麥朧の日、梅枇琶の果靑い日、新綠の靑葉のさわぐ日、私は自が聖らかな靑春の殉緻に哭き、大腦の艶めく孤獨に悶へる、初夏の日新らしい禀慾を覺え、色相を螫む記憶、昏情に頽く思情の賓釵、それら美しい像の初夏の日が來た。私は紫のクシヨンをもつた寢椅子を街からもとめてきてわが窓きはに据えた。そこで私は幻覺する。白晝寢する。恍やけた夢を見る。白い聖書と太股の嘆き、センヂアルなイメージ、甘い抗奮の靜寂、それらが寢椅子の上に匐つてくる。私は怠惰を好むようになつた。ひは色の空、層をなして盛れあがる雲の精氣をよく寢椅子の上で眺める。濃藍の葡萄棚に日光がふかふかと澱み、木靈が瞼のうちに現はれて來るような白晝もある。空からは風が流れた。破璃畫のやうな透きとほつた感覺の脂、明るい部屋と懶い眼光、みづみづしい腦ましさ。それらは私の病想のやや疲れた時の秘鑰だ。孤獨るいるいとしてくる幻覺の匂ひなども私は愛する。
 五月は魅美の變化する時だ。蛇が卵の殻を破る時だ。蟬が凝念の土から匐ひ出ようとする時だ。
 金柑が落ちる。蜂の巢が殖える。かげろふが舞ふ。燕が翔る。佛手柑が生る、木莓が色む、毛蟲が湧く、竹のこが出る、雨が柔らかくなる、美人草が開く、小鳥が火のこゑを喚ぶ、五月の魅美は變化する。心蕩の日だ。蠱惑の日だ。私の飼つてゐる鸚鵡もこの日淫慾の羽振りをする。私は庭園へ出てみる。
 私の庭園には花と光耀とで溢れてゐる。矢車、バンヂー、玉紫、ばら、夏菊、芍藥、鬼督郵、百合、などの西洋種花が、瑪瑙と金屬との衣裳にみだれて陶醉してゐる。あゝ花囿の魅美!
 私は花囿でよくぶるぶると病める神經を動かした。それよりも南國性植物の光澤には驚くよ、冬期避寒の卷藁を解された(鉄尖樹、蘇鐵、大王樹、椰子樹)は隆々と光つて空に伸びるのをみることだ。いかにも原始的な感槪が湧いてくる。豪者である。見れば隣家の畑の中では葱の花(採種)かあの樣にボヘミアンの頭のようになつてしまつた。夢見る蝶々がたくさん來なくなつた。華やかな花匠の手が葱の畑に罪を與へたんだらう。私の庭園に泉水がある泉水の銅盤の小さい口からきりきりと水を噴きあげてゐる。その尖に廣い空がひろがる。夢心地さへ起る靑い烏籠を提げてきて妻は新鮮な風樹の靑葉の下に吊したり、法瑯の鉢に金魚を掬つて小兒をよろこばしたりする春の綺麗さ。
 今は快樂に耽る光耀の時だ。神の胸を吹く風、白孔雀の亡骸を埋める大陽、私は現なく魔される日、あゝ春は逝つた。私はたヾ紫の寢椅子を相手に多く幾日かの病情に醉ふてしまふのだ。あゝそれをダイヤボリツクの快樂とも云ふのか?

 
 

以上、『井口蕉花全集』より
 
 

2021.11.22 Ryo Iketani






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