1929年3月某日、ポール・エリュアールはパリのとある舞踏会場で画商のカミーユ・ゲーマンス(Camille Goemans)から若い画家を紹介された、それがサルバドール・ダリ(Salvador Dalí)であった。ダリは彼らを故郷スペインのカダケスに誘い、その夏の8月にエリュアールは妻ガラと11歳の娘セシルを連れてスペインのカタルーニャ地方を訪れた。先行していた映画監督のルイス・ブニュエル(Luis Buñuel、ダリとの共同制作映画「アンダルシアの犬」が同年6月26日公開)と画家のルネ・マグリット(René Magritte)夫婦らと合流し、ダリの父の別荘であるアトリエを訪問する。エリュアールはダリの制作中の絵に《陰鬱な遊戯(Le Jeu Lugubre)》という画題を進呈、又ダリも彼の肖像画をデッサンするなど、2人は意気投合し、彼らの交流は後年まで続く(翌年11月刊行『無原罪懐胎』の扉絵もダリが担う)。
 

左からダリ、ガラ、エリュアール、ヌーシュ
1931年撮影
 

 翌月にエリュアールやマグリット夫婦らはパリに引き上げるのであるが、エリュアールの妻ガラだけはカダケスに留まった。その後、ガラの助力により無名だったダリはシュルレアリスムの寵児へと駆け上がり、のちにふたりは結婚。他方、エリュアールは1930年5月に出逢った女優ヌ―シュ(本名マリア・ベンツ:Maria Benz)と関係を深め、4年後にガラと正式に離婚してヌーシュと結婚する。ヌーシュは女優とはいえ貧困な旅芸人の両親のもとに育ち、そんな彼女を通してエリュアールは人民に寄り添う抵抗詩人へと目覚めてゆく。それは所有及び被所有であり続けたガラへの愛を、ヌーシュとの愛によって非所有である万人の愛へと転じてゆくのである。
 本書冒頭の詩「自由」はサン=ドニ博物館所蔵の原稿によれば当初「唯一の想い」という仮題であったらしく、最終行の《自由よ》という呼びかけも《ヌーシュよ》であったそうである。彼女への唯一の想いが万人への想いと重なり合って《自由よ》の一語へと集約されてゆく様は、まさに個人的な妻への愛が公的な愛へと昇華してゆく典型といえよう。

 ここに個を超えて誰もが継承し得る人類愛的紋章の詩があり、顔のない絆がある。
 

以上、中期詩選集『愛の紋章』の「訳者解題」より抜粋
 
 

2021.5.8 Ryo Iketani