1918年6月にフランスのエディション・デ・ラ・シレーヌ(人魚書房)から刊行されたジャン・コクトーによる音楽小論『雄鶏とアルルカン』、その邦訳には音楽評論家の大田黒元雄訳『雄鶏とアルルカン』(昭和3年7月・第一書房)と仏文学者の佐藤朔訳『コクトオ藝術論』(昭和5年9月・厚生閣書店)があり、抄訳としては小説家の堀辰雄訳『コクトオ抄』(昭和4年4月・厚生閣書店)と詩人の篠崎初太郎訳『「雄鶏とラルルカン」より』(昭和3年7月號『近代風景』掲載)とがある。

いずれも削除箇所が散見される1926年のストック書店版を底本としており、無削除版であるシレーヌ版が邦訳されるのは初めてであり、当時の政治的抑圧や個人的諸事情によりコクトーが敢えて割愛した箇所を訳す意義も、少しは私に残されていたのであろう。
 

1918年6月刊 『シレーヌ版』の表紙

その訳業における詩人の流麗なフランス語から日本語への綱渡りには、語学力よりもむしろ音感やリズム感の方が役に立ち、その語句と韻律との関係性は花と花瓶の相性以上に重要なのである。
 

大正末期から昭和初期にかけての日本におけるコクトー評価は頗る高く、その紹介人としての堀口大學や春山行夫らの功績は大きい。当時、堀口によるコクトーの訳詩「ああ思ひ出よ、お前の煙草は心で噛む時なほ苦い」を幾度となく好んで引用したのは山崎俊夫であったし、『雄鶏とアルルカン』冒頭の句である「芸術とは官能的な科学である」に対して、いち早く反応したのは山崎より一歳年下の芥川龍之介(昭和2年7月號『文藝春秋』掲載「続文藝的な、余りに文藝的な」にて)ではなかったであろうか。
 

コクトーの声明もさめやまぬ昭和11年5月に初来日した彼が日本の印象をこう語っている「神戸の町で少女が道で遊んでゐて石けりをしてゐるのを見ました。その少女は舌を出して、白墨を手にして地面に圓形を描いてゐました。その圓形が實に立派な正確なものであったことです。幼さな少女でさへも、これだけの正確な、幾何學的な線を描く國は恐らく日本を措いて外にありません」(昭和11年7月號『セルパン』掲載「ペン・クラブに於ける挨拶」より・小松清訳)と。実にコクトーらしい直感的洞察力による詩的表現である。

この挨拶を聴いた春山行夫はこうコメントを残している「コクトオの言葉が電氣のやうに脳髄から直接に流れてくるやうに思つた(中略)デツサンを描きながら電信機が信號の紙テープを吐くやうに話してゐる」と。また春山はコクトーを見送る横浜埠頭での情景をこうも描写する「船が動き出した。コクトオの手から日本の風がハンカチーフを奪つて白い鳩のやうに吹きとばす。たれかが、この印象を《詩人の指先のバレエだ》といつた」(共に昭和11年7月號『セルパン』掲載「ジヤン・コクトオイズム」より)と。
 

以上、音楽小論『雄鶏とアルルカン』の「訳者解題」より抜粋
  

 

2019.11.24 Ryo Iketani

 
 
 
 
 
 

 


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